映画『ボス』は、組織の未来がかかった次期ボス選出を前に、それぞれの夢のために互いにボスの座を譲り合う組織員たちの必死の戦いを描いたコメディアクション映画だ。確かに『コメディアクション映画』と聞いていたが、残ったのはわずかな『アクション』だけだった。
チョ・ウジンは組織のナンバー2であり、シェフを夢見る中華料理店ミミルの厨房長スンテ役を演じた。チョン・ギョンホは組織の正統後継者カンピョを演じた。パク・ジファンは誰も望まない次期ボスの座を一人で望むナンバー3のパンホを、イ・ギュヒョンは組織に潜入したアンダーカバー警察のテギュを演じた。
ボスの突然の死後、ナンバー1の座は空席となる。スンテも、カンピョも、社内取締役たちもボスの座を夢見ていない。唯一パンホだけが最終ボスを望んでいる。通常、韓国のヤクザ映画はナンバー1を争うものだが、クリシェをひねってありきたりでない企画を作ったところまでは素晴らしかった。
しかし、野心的に出したセリフやシーンが笑いのコードをすべて外してしまった。露骨に笑わせるB級でも、ブラックコメディでもなかった。意図的に笑わせようとするが、まるで『槍と盾』の戦いのようだったと言うべきか。
最近の時代には無理な笑いは通じない。この映画の最も致命的な弱点は、笑わせようと意図的に作り出した無理なコメディだ。
それでも映画が終わりに近づく頃、イ・ギュヒョンの演技の活躍がキックだが、それだけでは不足だ。すでにKBS『キックキックキック』やtvN『賢い監房生活』で見たおなじみの顔と演技だったからだ。それにもかかわらず、イ・ギュヒョンの熱演が無意味に笑いたいのに笑いが出なかった。
『ボス』を見た後、記憶に残るのは映画ではなく、背景音楽だ。『ボス』ではキャンの『내 생애 봄날은 간다(私の人生の春の日は行く)』が2回流れる。
「卑怯だと責めないで 汚い裏通りをさまよっても 私の傷を抱きしめた君がそばにいて幸せだった ろうそくのように短い愛 私の身を惜しみなく捧げようとしたが あの空が背を向けるその瞬間 私の人生の春の日は行く」
コメディ映画で余韻が残るのは難しかったが、残ったものがなくてもあまりにもない。劇場を出るときに『내 생애 봄날은 간다(私の人生の春の日は行く)』だけを口ずさんでいた。
リュ・イェジ テンアジア記者 ryuperstar@tenasia.co.kr