ソン・ウ・ヨン・ヨ、アメリカでの縫製工場運営と過去の挑戦を語る
ソン・ウ・ヨン・ヨ、アメリカでの縫製工場運営と過去の挑戦を語る
女優ソン・ウ・ヨン・ヨ(Son Woo Yong Yeo)がアメリカで運営していた縫製工場について言及した。

27日、ソン・ウ・ヨン・ヨのチャンネル「スンポン ソン・ウ・ヨン・ヨ」では、「アメリカで8年間ソン・ウ・ヨン・ヨが受けた衝撃的人種差別対処法(恨みのLA)」というタイトルの動画が公開された。

公開された動画で、ソン・ウ・ヨン・ヨは制作陣と共に過去に住んでいたアパートへ向かった。彼女は自身が運営していた縫製工場があった場所を見ながら、「あんなところが全部縫製工場だった。当時は1982年でニューヨークのハーレム地区だった」と振り返った。

続けてソン・ウ・ヨン・ヨは、「私の夫が縫製工場を買ってしまった。最初は(アパート)一棟を売って始めたが、工場がうまくいかずアパート4棟を売った」と打ち明けた。
ソン・ウ・ヨン・ヨ、アメリカでの縫製工場運営と過去の挑戦を語る
ソン・ウ・ヨン・ヨ、アメリカでの縫製工場運営と過去の挑戦を語る
制作陣が「その時のバンポアパートは今50億、60億する」と惜しむと、ソン・ウ・ヨン・ヨは「もう過ぎたことを考えても仕方ない。昨日のことは考えない」と淡々と話した。

またソン・ウ・ヨン・ヨは「過ぎたことを考えると頭が痛い。今日が楽しくてうまく生きればいい」と付け加えた。
ソン・ウ・ヨン・ヨ、アメリカでの縫製工場運営と過去の挑戦を語る
ソン・ウ・ヨン・ヨ、アメリカでの縫製工場運営と過去の挑戦を語る
工場運営だけでなくズボンも作ったというソン・ウ・ヨン・ヨは、自分の手を見せながら「ここに針が入った。針を抜くためにこうなった。仕方なく人は強くなるものだ」と過去の日々を振り返った。

また「韓国語で不動産資格を取れるところがあると聞いて行こうと思ったが、レストランを始めることになりできなかった。資格を取るべきだった。韓国語だから」と惜しんだ。

以前、ソン・ウ・ヨン・ヨは自身のチャンネルで英語が不足していて工場を運営するのに多くの困難があったと明かしていた。

チョ・ナヨン テンアジア記者 nybluebook@tenasia.co.kr